頭の良い人が陥りがちな罠とそれに対する坂本竜馬の回答
と言うより司馬遼太郎の意見。理屈におぼれて本質を見落としたり、理想を実現可能と思い込んでしまって無理をしてしまうのは、頭の良い人にありがちな落とし穴ですね。よく見てるなぁ、司馬遼太郎。
竜馬がゆくは、司馬遼太郎の坂本竜馬好きが伝わってくる小説ですね。翔が如くの時は西郷隆盛・大久保利通・木戸孝允はじめ維新の立役者をこき下ろしていたのに、竜馬はものすごく魅力的に書いてある。
「そんな芝居を思いつくとは、半平太も人が悪くなったなあ」
「たしかに、わしは人が悪くなった」
と、武市半平太が、いった。
「しかし竜馬、善人では、これだけの大芝居は打てないよ」
「悪人ならなお打てぬ」
竜馬は、にやにや笑っている。
「半平太、お前が悪謀家じゃということになれば、もはや人がまわりに集まって来るまい。人が集まらぬと大事はできぬ。されば半平太、悪人というのは、結局、小事ができる程度の男のことだぞ」
「待った」
武市は眼をするどく細めた。
「わしを、悪人というのか」
「言わぬ」
「申したではないか」
「悪謀家になるなと申した。なンも、お前が悪人じゃとは言うちょらん」
「悪謀は生涯これ一回じゃ。しかも私心あってのことではない。土佐二十四万石を、こぞって天朝のために捧げるためじゃ。そのために芋頭の重役とも手をにぎる。参政吉田をも暗殺する。半平太はなんでもやるぞ」
「半平太は狂うた」
「なんじゃと」
「お前の書いちょるのは、無理な芝居じゃ」
「なぜ」
「全藩勤王などは理想だが不可能なことだ。むかしから理想好きはお前の性分じゃ。完全を望み、理想を追いすぎる。それを現実にしようと思うから、気があせる。無理な芝居を打たねばならんようになる。かならず崩れ去る」
(『合本 竜馬がゆく(一)~(八)【文春e-Books】』(司馬遼太郎 著)より)