他人の批判を正義とするのは正しいことですか?
前にも書きましたが僕は営業の責任者をしています。営業という仕事は結果がどうしても出てしまうものなので、結果が出ずに会社を去っていく人もいます。
その去っていった人に対して、僕が『彼はまともな営業をせずに売上をあげられなかった。会社に対して損害を与えている。』と糾弾したらどうだろう。たぶんとんでもない人間だと言われるでしょう。理由は幾つかあると思いますが、主なものは
1.彼は僕の部下なので売上が上がらない責任は僕にある。
2.そもそも辞めた人間を責めるのは筋違いである。彼は会社の一員として、会社として行動したのであって、個人的な責任を負うべき根拠はない。
3.責任者としてやるべきなのは過去を振り返ることではなく、これからこの状況をどう良くしていくか、である。
他にも理由はあると思いますが、大きいことはこの辺かな、と思います。誰にでも簡単に分かること。
さて、築地市場の移転に対し小池都知事が石原元都知事に対して、過去の判断を糾弾しているのは上記の例とどう違うでしょうか?
1.そもそも石原さんを選んだのは都民なので、最終責任は都民が負うべきものである。
2.石原さんは都知事として決断を下したわけで、結果責任を個人として負う根拠はない。
3.石原さんの判断が間違っていたと思うのなら、それを元に戻すのが現都知事の役割であり、元都知事を叩くのは、違法行為の場合のみ司法の役割である。
小池知事の政治手法は、世間の標的にされやすい人を選んで叩くことで支持を得ていくやり方に見えます。それ自体は無意味だとは言いませんが、やっぱりその後、それを反面教師として政策を立案しなければ意味がありません。その政策とそれを実行する能力が無い、だから為政者としては向かないと感じてしまいます。
ニュースやワイドショーのコメンテーター的な人で、他人を動かし、物を作っていける人は多く無いと思います。それができていれば、批評家という仕事はしていないと思うので。いい加減、批判のうまい人をできる人と思うのはやめにしませんか?と思います。